先週からコンタクトをせず ひさしぶりに裸眼で過ごしている
運転するときは眼鏡をかける
よく見える事に慣れると よく見えない事が負担になった
でもそれも数日したら慣れてきた
そういえば
コンタクトをつくったのは5年程前で
眼鏡を作ったのもそのくらい前で
もっと前に一度 眼鏡を作ったけどほとんど使わず
もっともっと前に初めて作ったときは見えすぎて酔ってしまい使えず
だいたい裸眼だった
眼鏡もコンタクトも 一枚カバーされる様な
フィルターがかかる気がしてつけなかった
だけど 初めてよく見えた日 景色の細かさ揺れる葉やアスファルトの粒の数
思ってたよりいろんな物の距離が近くてバーチャルみたいなあの世界
歩くのがへんだったし すぐ酔ったけど 不思議だった
よく見えると便利で 見る為にしかめっ面をしなくてすむけど
このちょっとぼやけたくらいの目がやっぱりわたしの目なんだなと思うと
そのままの自分でいるってやっぱり楽だな~ともおもう
この緑の中で裸眼でいたら目が良くなるかもしれない
先日出会った天草のご家族は 家に電気をひいていなかった
別に原発反対!とかが理由ではなくて 単純に電気をひく必要がなかったから
そのまま暮らしているそうで
暗くなったらほとんど ろうそく1本か2本で過ごしているけど
不自由がないとのことで 試しに実際の明るさにしてくれた
月明りも強かったからかもしれないけど
だんだんと見えてきておたがいの表情がわかった
テント野暮らしを思い出した
明るいとよくみえる
とても便利
でも なかなか眠らなくなる
暗いとよくみえない
でも音がよくきこえる
相手に耳や意識を傾けるようになるし 自分もそっと伝えたくなる
便利な事でたのしめることもある
不便な事でやすまりよりみえることもある
そのご家族の方がゆっくりと話してくれたのと ろうそくの灯りから
かんじるものがいろいろあった
おもしろいなぁ バランスなんだね
そう ある程度の便利と不便を今は選べることは本当に幸運だね
不便と書いたけど 便利に対しての反対語としての意味で
正確には不便ではないんだけどね
とはいえ 今の眼鏡のレンズが野暮らし中に曇ってしまったので
曇っていない眼鏡がひつよう
明日から愛知なので 街の眼鏡屋さんに行ってみよう
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